「もののけ姫」を久しぶりに映画館で観た。
今回はリバイバル上映で、10時半から13時まで、およそ2時間半の長尺。だがアタマからの圧倒的なスピード感に引き込まれ、あっという間に終わった印象だ。冒頭からして、宮崎駿らしい「全力疾走」の描写で、観る側の身体感覚まで動かされる。改めて「すげえわ」と唸った。
公開当時は「生きろ」というテーマや時代背景が強調され、難解な印象もあったが、今観ると、物語の筋が明快で、純粋にエンタメとして抜群に面白い。娯楽作としての完成度がハンパない。一方で、自然との共生や人間の営みについて、今だからこそ考えさせられる部分も多い。時代を経ても古びない普遍性を感じた。
娯楽的な視点で見ると、まず思ったのはアシタカがとにかくモテるということ。設定は17歳らしいが、堂々としていて落ち着きがあり、村でも一目置かれる存在だ。タタラ場のエボシ御前ともひるまず渡り合い、犬神たちとも堂々と対峙する姿は非常に頼もしい。その上イケメン。そりゃモテるわ。アシタカvs様々な女性(エボシ、サン、タタラ場の女性陣、カヤ、犬神等)が映画の裏テーマだ。
そしてサン。登場シーンから放たれるあのエネルギーと肉体性、生命そのもののような存在感に圧倒される。血を吸い出して吐き出すあの場面すら美しく見えるのは、宮崎駿の筆致のすごさだと思う。主役の2人が“美しく生きる”存在として描かれているのが、この作品の大きな魅力だ。
アシタカの「結論が出ない」感じも人間らしい。生きろ、という一言に込められた曖昧さ。だがそれこそが人間のリアルで、この映画が無理なく中盤から終盤へ着地していく力になっている。自然と人間、その折り合いをどうつけるかというテーマを、彼の中途半端さがちょうどよく体現していた。
観ていて感情移入してしまうのはエボシ御前だ。冷徹に見えても、根っこには人間らしい優しさがあり、憎めない。彼女を含め、いわゆる“敵役”がどこか美しく、悪者が一人もいない。この映画に出てくる存在はみんなそれぞれの正義を抱えて生きている。唯一、僧侶のジコ坊だけが“人間の欲”を象徴するように描かれているが、それすら嫌味に感じない。
結局、誰もが自分の正解を探し続けているだけで、その不完全さこそがリアルであり、普遍的だと感じた。
ジブリ作品の中でも「もののけ姫」は狙っている年齢層が高めで、描写もかなりハードだ。首が飛ぶようなバイオレンスや、ハンセン病患者の描写なども含めて、ファンタジーには収まりきらない現実がある。それでも「生きろ」という言葉が最後に響くあたりに、宮崎駿の強いメッセージ性を感じる。監督の注ぎ込まれた想いは、ナウシカに近いレベルじゃないか。
監督の思想だけでなく、プロデューサーの鈴木敏夫のバランス感覚もあってこそ。タイトルを“もののけ姫”にした英断がなければ、ここまでヒットしていないかっただろう。サンは実際のところ話の中心にはいない。
現実のニュースを見ていても、山から熊が人里に出てくるような話題が多いが、それも自然と人間の関係がどこかで崩れた結果なのかもしれない。「もののけ姫」を見たあとだと、その構図がただの“動物の脅威”ではなく、もっと深い問題に見えてくる。
何十年経っても、やっぱり最高に面白い映画だ。この映画以降のジブリはあまり・・・って感じで