solid bond

never a dull moment

初期中村一義の衝撃。

中村一義

中村一義は1975年生まれ。1997年に1stアルバム『金字塔』をリリースし、その独特な音楽性とスタイルで一気に注目を集めた。特に、「(ほぼ)全ての楽器を一人で演奏し、宅録で作り上げた(パートナー的存在が同じく宅録志向だった高野寛だったのも面白い)」という制作スタイルが話題になった。当時の日本の音楽シーンでは、バンド全盛の時代であり、ほぼ一人で全てを完結させるアーティストは異端だった。

初めて聴いた衝撃

自分が最初に中村一義を聴いたのは、渋谷陽一の『ワールド・ロック・ナウ』だった。基本的に洋楽しかかからない番組の中で、異例の扱いで中村一義の曲が流されたと記憶している。そのとき流れたのが「犬と猫」だったのか「永遠なるもの」だったのかは曖昧だが、とにかく鳥肌が立った。そこから彼の音楽を深く聴くようになった。

この記憶は曖昧(違うかも)で、ネットで同じ話を見つけたことはないが、当時の邦楽の中では異質な存在だったのは間違いない。

何がそんなに響いたのか?

まず、絶妙なサイケデリック感があった。90年代の邦楽にはない「浮遊感」と「歪み」が共存していて、まるで別の世界に引き込まれるようだった。それは単なる幻想的な雰囲気ではなく、どこか危うさを孕んでいる。「これ、ちょっとやばいぞ」と感じさせるギリギリの表現だった。

もう一つが独特なリズム感。特に中村一義自身が叩くドラムのテンポが独特で、他の音楽とはまるで違っていた。近いと感じたのはリンゴ・スターのドラムだが、さらにズレた感覚があった。独特のタイム感が、当時の「何かに希望を持ちにくい」90年代後半の空気感と妙にマッチしていた。

歌詞の選び方も特異だった。『金字塔』の2曲目「犬と猫」の「どう」というフレーズ。これを聴いて「すごいな」と思った。当時の邦楽の歌詞と比べると、非常にロック的で、難解で、でも妙に引き込まれる。今の「あざとい」歌詞とは一線を画していて、文学性を感じた。その難解さがいわゆる当時のロキノン界隈での大きな支持につながっていた。

セカンド以降の変化

ファーストの『金字塔』は、まさに孤独から生まれた作品。その後、セカンド、サードと進むにつれて、仲間が増え、音楽のスケールが広がっていった。特に3rd『ERA』では多くのミュージシャンが参加し、音の厚みが増した。4thアルバムでは、「キャノンボール」「セブンスター」のような名曲も生まれた。

サード以降は「独特の歪み」が徐々に薄れ、より完成されたバンドサウンドに移行していった。もちろん、それ自体は悪いことではないが、初期の孤独感やオリジナリティが失われてしまったようにも感じた。

なぜ興味が薄れてしまったのか?

いくつか理由があるが、特に「模倣の増加」が大きかった。初期のアルバムでは、「できない部分」がそのままオリジナリティに繋がっていた。しかし、バンド編成が進み、プロのミュージシャンが加わることで、ある種の「完成度」が増した結果、逆に「影響を受けたものそのまま」になってしまった。

初期は影響を受けつつも、自分なりの音に昇華していた。だが、バンドになったことで「オマージュを超えたただのコピー」みたいな部分が出てきた。

歌詞の世界観も変化した。孤独だった中村一義が、仲間を得たことで、幸福を手に入れたような雰囲気になってしまった。音楽的にも、歌詞的にも「閉じた世界観」が魅力だったのに、開かれすぎてしまった。

それでも初期の輝きは色褪せない

初期4作の輝きは、今でも全く薄れない。今聴いても、あの頃の自分の記憶が蘇る。

最近の中村一義は、病気の影響もあり、かつての姿とは大きく変わった。テレビでのアピールなどは、正直受け入れがたい部分もあるが、それもまた歩んできた道の一つだろう。